1931年のノルウェーは、二つの世界のはざまにある国だった。
電気、自動車、ラジオ、鉄道が日常生活を変えつつあった。ベルゲンとトロンハイムは国際貿易につながる近代都市となり、かつては集落同士の連絡にひどく時間がかかった海岸沿いを、蒸気船が乗客や郵便、貨物を運んでいた。

だが都市の外には、もう一つのノルウェーが残っていた。
山々とフィヨルドの間には農場が点在し、漁村は海に生活を委ねていた。主要な経路を外れると道路の状態は急速に悪化することもあり、冬には集落全体が孤立しかねなかった。北部の多くの地域では、陸路よりも海岸沿いの航路のほうが頼りになる交通路だった。
その対照は、1931年にはとりわけ鮮明だった。
世界的な経済危機が、ノルウェーにも深刻な影響を及ぼしていた。1930年から1931年にかけて工業生産は急減し、失業が増え、農村の人々は物価の下落と借金に苦しんだ。国は史上最大級の労働争議も経験した。それでも近代化は進み続けていた。自動車はますます身近になり、家庭には電気が広がり、ラジオが通信のあり方を変え始め、政府も道路や交通基盤の整備を続けていた。
ベルゲンを離れて北へ旅する十二歳の少年には、こうした矛盾が至るところで見えたはずだ。
曾祖父母の世代なら越えるのに何日もかかった山々を、列車の客車が運んでくれる。沿岸の蒸気船は、印刷された時刻表どおりに到着するかもしれない。それなのに数時間後には、次の谷へたどり着くための最も現実的な手段が、馬や漁船、あるいは自分の足であるような風景の中を進んでいることもあり得た。
マックスの旅が始まるのは、このようなノルウェーなのだ。
ベルゲン――旅の始まる場所
マックスにとって、ノルウェーは海の水から始まる。
ベルゲンは、いつも外の世界に目を向けてきた。
山々に守られながら北海へ開かれたこの都市は、商業、漁業、そしてノルウェーのはるか外まで伸びる海上のつながりによって成長してきた。船、倉庫、商人、船乗りは、この街の個性そのものだった。港は街の端というより、表玄関だった。

そして、その歴史がブリッゲンほどはっきり見える場所はなかった。
港に面して細長い木造建築が連なる景観には、何世紀にもわたって交易の中心地であったベルゲンの記憶が形となって残っていた。その正面の奥には通路や貯蔵室、中庭が広がっていた。海から届いた品々が、人目からすぐに消えてしまうような、木造の建物が密集する世界だった。

『狼と雪』では、これが自分の正体を理解する前のマックスの世界である。
彼は友人のアクセル、ラグンヒルドとベルゲンを駆け回り、古い港を探検し、放置されているように見える倉庫に入り込む。そこで子供たちはライフルと金を発見する。冒険として始まった出来事はブリッゲンでの追跡劇へ変わり、やがてマックスの祖父トルヴァルドが現れることにつながる。
この舞台には意味がある。
ベルゲンは、船が秘密を運んでくる場所として十分に説得力があった。船乗り、実業家、労働者、漁師、旅人が毎日行き交う商港だったのだ。海はこの街を、ノルウェーのほかの港だけでなく、イギリス、ヨーロッパ大陸、さらに広い大西洋世界と結んでいた。

1931年までには、ベルゲンは近代ノルウェーともしっかり結ばれていた。1909年以来、ベルゲン鉄道がこの街とオスロを結んでいた。その建設は、当時を代表する技術上の偉業の一つだった。

だがマックスは、この都市のノルウェーにとどまらない。
トルヴァルドは彼を港からも、家族からも、慣れ親しんだすべてからも連れ出す。
北が待っている。
さらに読む:1930年代のベルゲン――マックスの物語の背後にある街 →
街を離れて
1931年のノルウェーを行く鉄道、道路、そして旅
現代の地図を見ると、ノルウェーを横断するのは容易なことのように思えてしまう。
1931年には、まるでそうではなかった。
ノルウェーの地形が、人々の移動方法を決めていた。山々が集落を隔て、フィヨルドが陸地の奥深くへ入り込んでいた。島々と細長い沿岸の集落のため、広い範囲でまっすぐな道路を造ることは不可能だった。地図上では単純に見える旅も、実際には何種類もの交通手段を乗り継がなければならないことがあった。
鉄道は南部と中部のノルウェーを変えていたが、その路線網は未完成だった。戦間期には道路が急速に延び、バスや自動車も見慣れたものになりつつあった。しかし、多くの道はもともと馬や軽い車両のために造られていた。自動車交通の重量と速度が増すにつれて、路面、カーブ、橋の改良が必要になった。1920年代から1930年代には、主要道路の除雪も次第に機械化されていった。
長い旅では、旅人はしばしば区間ごとに移動手段を変えた。
列車。
蒸気船。
自動車かバス。
地元の小舟。
馬かそり。
そして最後の数キロは、徒歩になるかもしれない。
マックスとトルヴァルドが北へ進むほど、こうした分断された交通の世界が重要になってくる。
1931年の距離は、単にキロメートルではなく、接続によって測られていた。
船を一本逃せば、旅の次の段階そのものが失われかねなかった。
トロンハイム――北への玄関口
トロンハイムは、一つの境目だった。
その南には、つながりを増していくノルウェーの鉄道網があった。その先では、旅を形づくる地理そのものが変わった。
やがてノルラン線となる鉄道は、まだ北へ向かって建設中だった。1929年までに列車はグロングに達していた。1931年、北へ向かう鉄道はそこが終点だった。モーショーエンに到達するのは1940年、モー・イ・ラーナには1942年になってからである。
この一つの事実が、両大戦間期のノルウェー北部について本質的なことを示している。
北はまだ、鉄道によって制覇されていなかった。
トロンハイムから先では、船が欠かせなかった。
だからマックスとトルヴァルドのような旅人にとって、トロンハイムは地図上の単なる次の都市ではない。そこは、旅がますます海岸に委ねられていく地点なのである。
そして海岸には、独自の鉄道があった。
それは水でできていた。
沿岸航路
蒸気と潮に支えられたノルウェーの幹線
1931年までには、ノルウェーの沿岸蒸気船はすでに社会に根づいた存在だった。
後にフッティルーテンとなる航路は、1893年、リカルド・ウィズ船長の蒸気船ヴェステローレン号がトロンハイムからハンメルフェストへ向けて出航したときに始まった。定期的な沿岸蒸気船の運航が始まる以前、ノルウェー北部で人や手紙、物資を運ぶには何週間もかかることがあった。新しい航路は、その現実を変えた。
航路は徐々に拡大した。ベルゲンが南の起点となり、はるか北東のキルケネスも組み込まれた。1930年代になると、これらの船が運ぶものは旅人だけにとどまらなかった。
郵便。
魚。
機械。
食料。
商品。
知らせ。
家族連れ。
役人。
労働者。
だから小さな港への入港は、一つの出来事だった。船は孤立した集落を、何百キロも離れた場所と結んだ。
マックスにとって沿岸航海は、甲板からノルウェーが変わっていくのを眺めることだっただろう。
都市は遠ざかる。
山々は海へ迫ってくる。
海岸は島々、水路、岩礁へと分かれていく。巨大な斜面の下に小さな集落が現れる。その中には、埠頭と教会と数軒の家があるだけの場所もあった。
時刻表は、近代的な正確さを約束していた。
風景は、何も約束しなかった。
嵐、闇、潮流、冬の天候が、なおも旅を支配していた。
1931年のフッティルーテンは、1936年からのような毎日運航にはまだなっていなかった。
北はつながっていた。
それでも、まだ遠かった。
サンネシェーエン
七姉妹の山々のふもとで
サンネシェーエンはアルスタ島にあり、ヘルゲラン海岸でも特に特徴的な景観の一つ、七姉妹として知られる山並みを望んでいる。
何世紀もの間、この集落は地域の交易の中心として機能し、その港が周囲の島々や沿岸の集落を結んでいた。
マックスの旅で重要になるのは、この規模のノルウェー北部である。
サンネシェーエンはベルゲンでもトロンハイムでもなかった。ここでは海が、日々の暮らしのすぐそばにあった。船そのものが交通基盤だった。山々のために陸路での移動がしばしば難しくなる地形の中で、港は散在する農場、島、集落を結んでいた。
マックスにとって、北へ向かう一つ一つの寄港が、慣れ親しんだ世界をさらに一層ずつ剥がしていく。
ベルゲンは、彼の子供時代に属している。

ヘルゲランは、トルヴァルドに属している。
そしてトルヴァルドは、彼をそのさらに奥へと連れていく。
モーショーエンと内陸
まだ鉄道が来ていなかった場所
モーショーエンはヴェフスンフィヨルドの奥に位置し、山々に囲まれ、歴史的に林業、木材、交易、そしてフィヨルドを通じた物資の輸送と結びついていた。
1875年に交易都市としての特権を与えられ、ヘルゲランの重要な中心地へ発展した。
しかし1931年のこの街を最もよく物語るのは、そこになかったものだった。
鉄道駅である。
ノルラン線がモーショーエンに到達するのは、1940年になってからだった。
そのため内陸へ向かう旅人は、道路、地元の舟、そして古くからの交通手段からなる網の目へ入っていった。
自動車はあった。バスもあった。道路建設も進んでいた。だが自動車が、ノルウェーの地形を消してくれるわけではなかった。
冬になれば、道はまったく別のものに変わり得た。
雪の中では、車輪よりそりのほうが役立つこともあった。山々を抜ける実用的な経路が、一本の谷しかない場合もあった。どの道がまだ通れるか、どこに船があるか、いつ天気が変わりそうかを知る土地の知識は、金と同じくらい重要になることがあった。
それが、トルヴァルドの理解する世界だった。
そしてマックスは、それを学ばなければならない。
モー・イ・ラーナ
変化を目前にした北の街
1931年のノルウェーにおいて、モー・イ・ラーナはとりわけ興味深い位置を占めている。街はすでに変わり始めていたが、戦後の時代を象徴する工業都市にはまだなっていなかったからだ。
モーは長く、市場と交易の中心として機能してきた。1920年代初めには、小規模な特権交易都市を意味する ladested となった。鉱業も、周辺のラーナ地方を変え始めていた。
ダンダーランド鉄鉱石会社は、この地域で鉄鉱石の採掘を進め、鉱山とグルスメドヴィクの間で鉱石を輸送する独自の鉄道を建設していた。1928年から1931年にかけて採掘が再開された。まさにマックスが到着する時期である。
そのため1931年のモーは、小説の世界にとって特に意味のある場所となる。
手つかずの荒野でもなければ、後の数十年間に見られる重工業の街モー・イ・ラーナでもなかった。
未来は見えていたが、まだ完成していなかった。
労働者、商人、鉱業の営みが、古くからの漁業、農業、地域交易と並んで存在していた。巨大な山々、森、冬を背景に、機械と工業化への意欲があった。
『狼と雪』では、モー・イ・ラーナは隠された世界と日常の世界が衝突する場所でもある。
スコルと荒野で何日も過ごした後、マックスはこの街にたどり着き、薬局を営む親族のイングリッドを捜す。彼女の職業はこの舞台にふさわしい。薬剤師は近代科学と商業の世界に属する一方で、イングリッドは密かに化学、ルーン、セイズを理解している。
街が避難所となるのは、ほんの短い間だけだ。
ホーコンが追ってくる。
そしてマックスとイングリッドが逃げ出すとき、歴史上の風景と物語の風景は、意図的に分かれ始める。
現実の鉄道がモー・イ・ラーナに到達したのは、1942年だった。
したがって小説の列車による脱出は、1931年当時の実際の交通網ではなく、物語独自の地理に属している。
これは大切な区別であり、この作品が歴史ファンタジーであって、記録的な再現ではないことを意図的に思い起こさせるものだ。
さらに北へ
ボードーと北極圏への接近
モーの先では、距離がいっそう厳しさを増す。
北極圏の境界はラーナ地方のすぐ北にある。その先では季節の極端さがさらに際立つ。夏のとてつもなく長い日照時間と冬の闇、沿岸の嵐、山の天候、そして集落同士を隔てる広大な距離である。
ボードーには、もう一つの重要な港があり、海と内陸をつなぐ別の接点があった。
だがここにも、まだ鉄道は来ていなかった。
現代の旅人がトロンハイム、モー・イ・ラーナ、ボードーを結ぶものとして思い浮かべる連続した鉄道路線は、後のノルウェーに属している。マックスの世界では、海岸が依然として北へ向かう大動脈だった。
蒸気船が、山々によって隔てられた集落を縫い合わせていた。
この地理が、ノルウェーの歴史が常に海と深く結びついてきた理由を説明してくれる。
そしてまた、『狼と雪』でマックスが文明を離れるために、完全に未知の土地を発見する必要がない理由も説明してくれる。
港から離れさえすればよいのだ。
わずか数キロで、十分なこともある。
現実のノルウェー/物語のノルウェー
『狼と雪』は実際の地理を用いているが、1931年の時刻表として書かれたものではない。
ベルゲン、トロンハイム、サンネシェーエン、モーショーエン、モー・イ・ラーナ、そしてノルランの風景は、小説が根を下ろす歴史上のノルウェーに属している。
距離は現実のものだ。
山々も現実のものだ。
海岸への依存も現実のものだ。
未完成の鉄道網も現実のものだ。
ラーナ周辺の鉱業活動も現実のものだ。
都市のノルウェーと孤立した北部の集落の間にある、深い隔たりもそうである。
その歴史上の地理の下に、小説はもう一つの地理を置いている。
トルヴァルドは、普通の地図には載っていない道を知っている。マックスは世界の根を通して森を感じ取ることを学ぶ。古代の聖域が山々の内部に生き残っている。ユグドラシルは、もはや中世の文献に描かれた単なる神話ではなく、古い神々の特定の末裔が今もその響きに触れることのできる、生きた構造なのである。
交通と地理にも、意図的な創作上の変更がある。とりわけ重要なのは、1931年を舞台とするこの物語では、グロングより北での鉄道移動が創作の枠組みに属するという点だ。歴史上、ノルラン線がモーショーエンに達したのは1940年、モー・イ・ラーナに達したのは1942年だった。
この区別は重要である。超自然の世界は、その下にある日常の世界が見分けられるものであってこそ、最もよく機能するからだ。
マックスがユグドラシルの根へ降りていけるのは、これがファンタジーだからである。
雪に覆われた森でエイラと出会えるのも、これがファンタジーだからである。
しかし彼の命を奪い得る寒さ、途方もない距離、沿岸の蒸気船、鉱業の集落、そしてノルランの孤立は、まったく別の源に由来している。
歴史だ。
『狼と雪』の中で
マックスは、ベルゲンの少年として旅を始める。
そのことには意味がある。
彼は通りや倉庫、友人、家族、港を知っている。もちろん、世界がブリッゲンよりも広いことはわかっている。だが頭で知っていることと、身をもって経験することは違う。

トルヴァルドは、彼の世界の尺度を変える。
旅が進むほど、風景に対するマックスの存在は小さくなる。
列車の客車が船に変わる。港が道に変わる。道は森へと続く。やがて道さえなくなる。
その先にあるのは、ただ雪。
小屋。
弓。
祖父。
スコルという名の白い犬。
そして、自分を取り巻く荒野が、ベルゲンで知っていた何よりも古く、危険で、命に満ちていることを発見していく、十二歳の少年。
この変化は、1931年のノルウェーに実際にあった何かを映している。
近代は到来していた。だが、均等に行き渡っていたわけではなかった。
ラジオ放送を聴き、列車に乗り、時刻表に従って運航する蒸気船で旅をした人が、その同じ旅の途中で、なおも天候と日の長さによって人間の移動の可能性が決まる谷に入っていくことがあり得た。
だからマックスにとって、北へ旅することはブローデルスカップから逃れること以上の意味を持つ。
一キロ進むごとに、近代の世界は薄くなる。
その下から、より古い世界が姿を現し始める。
トルヴァルドの記憶する世界。
エイラの生きる世界。
世界の下にある世界。
根は、そこで待っている。
